自信は自由な気持ちになる?―私のノート生活

↑私の記録セット

5か月くらい前から「シンデレラノート」といわれるものを始めた。

写真のものは2冊目。

シンデレラノートを書くにあたって参考にした本は、

『シンデレラノートのつくりかた』,手帳のじかん著,日貿出版社,2021。

この本のいいところは、PDCAサイクルという考え方と、振り返りの時間をもうけるKPTの考え方があるところ。

PDCAサイクルは実際仕事で使うときの考え方でもある。達成したい問題に対して、逆算して考える。

計画、行動、振り返り、実践(改善)のサイクル。この考え方を基本に実際に数字を入れながら具体的な目標を立てていく。

KPTは実際行動したことを振り返る習慣。なぜできなかったのか、どうしたら、行動できるか、もっとよくなるかを考える。

基本、この2つをすることによって、具体的に目標を立て行動、振り返りができるので実行しやすくなる。

このノートをはじめたきっかけは特にない。

ただ、向上心だけはあった。身に付けたいことを書いていく。

それを身に付ける理由は何か、も考える。理由が他人の欲望からくるものである必要はない。

(インスタグラムは他人の欲望を自分も欲しがる人が多いので、見ていて面白くない。自分の欲しいものぐらい自分で決めればいいと思う。

しかし、欲望の基本は他人からもたらされると何かの本で読んだので、仕方がないのかもしれない。

実際、自分の欲望なのか、人の欲望なのか、この欲望がどこからもたらされたのかわからない)

私の大まかな理由は、自由になることだと感じた。何から自由になりたいのか、私自身よくわかっていない。昔のことを考えると、自分から自由になりたいのかもしれない。自分自身の思考を爆破したい感じ?(笑)

新しいものが欲しい。別の思考が欲しい。いろんなもの(経験、喜び)が欲しい。新しいことを知りたい。

自分の欲しいものが他人からもたらされたものであっても、それは、自分の魂が欲しがっているからこそ、その欲望に反応したのだと思っている。

自慢したいからとか、承認欲求からくるのではない。

(ところで、今私が一番欲しいものは、私と一緒に喜びを味わえる相手なのだが。

こういう考えに行き着くと、私は既に他人が中にいるのではないかと思えてくる。この考え方に理屈や理論はないのだが、もう他人が自分自身の中にいるので、相手を本当には必要していないのではないかというような。

この他人、というのは自分の欠けた片割れ。アンドロギュノスは片割れと既に繋がった状態。既に私は考え方自体が片割れを所有しているので、他人を必要とする必要が無くなっているのではないか?と思えてくる)

自信というのが何であるのかわからないが、どこへいても、どのような状況に追い込まれても自分を捨てないことなのかもしれない。自分の舞台を捨てない覚悟。

この覚悟を磨くことが、自由なのかもしれない。よって、私はこのシンデレラノートを書いているのだと思う。

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